世界のカシオ計算機の第一歩は三鷹からだった!

カシオ電卓が10億台に 1号機から41年で
この記事を目にした方も多いと思います。今や10億台を超えたというカシオの電卓の販売台数。その第一歩が三鷹だったことをご存知でしょうか?
創業 カシオ計算機

カシオのホームページの社史の最初にあるように、カシオ計算機創立者である樫尾忠雄(故人)は関東大震災の後、上京し、働きながら早稲田工手学校(現在の早稲田大学)に通って技術を習得。1946(昭和21)年、東京都三鷹市に「樫尾製作所」を設立して独立を果たしました。計算機の発明は、創立者と兄弟たちの血のにじむような努力のたまものなのです。

みたか観光ガイド協会が毎月第4日曜日に開催している定例ガイドは太宰の足跡を中心にガイドが行われていますが、樫尾製作所のあった場所の説明もしてくださいます。説明がなければ、いまやただの住宅街の一部でしかありませんが、実は、太宰治が住んでいた場所の近所にこの歴史的な樫尾製作所があったのです!

このニュースを見て、まるで自分のことのようにうれしく感じてしまいました。