心中

 太宰治の死に顔は非常に穏やかで、笑みすら浮かべているように見えたという。しかし、心中した相手の太宰の愛人、山崎富栄のそれは、目を見開き、恐怖と苦悶の表情を浮かべていた、と検視に立ち会った者の記録に残っている。

 入水後、富栄は太宰に心中を迫った女という烙印を押された。特に、太宰と親しくしていた人々の中には、富栄を悪く言う者が少なくなかった。しかも、遺体が発見された時、太宰の首には縄が巻き付いていたという記録もある。おそらく、富栄が太宰の首を絞めた後、玉川上水に入水したのだろう。このことから、富栄の方が心中に積極的だったとの見方がされたからだ。

 そして、前述の二人の死に顔の落差は、ここにあると思われる。つまり、入水した時点で、首を絞められていた太宰は気絶していたか、すでに絶命していたのに対し、富栄には意識があったので、水の中でもがき苦しんだ、というわけだ。

 太宰は、若いころから自殺や心中騒ぎを何度もおこした「死にたがり」の男だ。しかも、晩年は持病の結核がそうとう悪化していたようで、富栄の日記にも、太宰がひどく喀血する様子が記述されている。太宰の結核は富栄にも感染し、富栄もたびたび喀血していたようだ。

 心中を先に口にしたのは太宰なのか富栄なのか。それとも、どちらが言うでもなく、二人の間で心中へと向かう流れが自然にできていたのか。真実は二人にしか分からない。けれども、富栄を「太宰を死に引きずり込んだ女」と片付けてしまうのは、あまりに無情ではないか。なぜなら富栄は、自分が最期を迎える苦しみと引きかえに、太宰に「安らかな死」を与えた唯一の女性だからだ。

 心中した男女は、次の世で双子に産まれ変わるという。太宰と富栄も、どこかで仲の良い兄妹として暮らしているのだろうか。(さ)