永遠に変わらないであろうもの 野川のほとりで見た小学生力

ある土曜日の遅い午後、大沢の「ほたるの里・三鷹村」の湿地にて、
小学生男子が7人ほどで、裸足で泥だらけになって何かを取っていました。
現代の東京とは思えない懐かしい風景に思わず声をかけると、
ザリガニを取っているとのこと。
周りからも賑やかな会話が聞こえてきます。

「早くテッチャンち行って食べようぜー!」

食べる、とはザリガニのことなのか。
会話から察するに、彼らはザリガニを毎回食しているようでした。
それから、その食べ方についてのやりとりが
いろいろと交わされていました。

「卵でとじてカツ丼みたくしようよ」
「エビチリにしよう」
「でももっとエビが欲しいね」

いつのまにか、ザリガニがエビに昇格しています。
その矛盾に対しては誰もつっこみを入れずに
話はどんどん展開を見せ、やがてはこんな発言まで。

「エビチャーハンもいいねー」

いまや完全にエビ化を果たしたザリガニ。
しかし、一体誰が作るのか。
そして、舌の肥えた現代の子ども達が、
本当にそれを食べるのか。
子供特有のノリで話しているだけなのかも、と
笑って眺めていたけれども、
どうやら彼らは本気らしい。
材料(どうやら卵になったらしい)を買って
テッチャンちへ行くことが決まったようです。
泥だらけの手足を器用に洗い流して
自転車でテッチャンちと思しき方面へ
去っていったのでした。

でも、大人の私はちゃんと見ていました。
その日の「エビ」の収穫はたったの1匹。
そして、テッチャンらしき人物は、そこにはいませんでした。
何て勝手なんだ、小学生。
何を考えているんだ、小学生。

テッチャンと、テッチャンのママに同情しつつも、
その後の彼らの行動を想像すると、
思わず頬がゆるんでしまうのでした。

たくましい大沢の少年たちに、
時代が変われど永遠に変わらないであろう
圧倒的な小学生力を見せつけられたまま、
ザリガニのご相伴に預かれなかった私は、
まともな夕飯の献立を考えはじめたのでした。(ち)