まちなかの突然の緑を考えてみよう 「生産緑地」って何だ?

 三鷹と吉祥寺はいい意味でライバル同士だ。そこで、こんな見方をしてみよう。
 吉祥寺は自他共に認める「商業のまち」だろう。一方三鷹といえば、「農業」抜きには語れない。今まさに「新選組!」の近藤勇で脚光を浴びている大沢地区の「ほたるの里・三鷹村」があるし、そもそも近藤勇自身が百姓だった。ほかにも新川の「丸池公園」の整備や、まちぐるみで行っている学校農園事業など、取り組みとしての気概を感じるものが多い。

 ところで三鷹のまちを歩いていると「生産緑地指定地区」というものに頻繁に出くわす。「生産緑地」はバブル期の土地高騰の中、法律が1993年に改正され、所有者が「保全すべき農地」か「宅地化すべき農地」かの選択を迫られた。本来市街化(宅地化)を推進すべき地域にはあるけれど、農業続けてもいいよ、ただし覚悟をしなさい、そんなニュアンスだ。「保全すべき農地」=「生産緑地」を選択する場合、その後30年にわたり農地として保全せよ、という条件がつくためだ。生産緑地の面積や割合は三鷹市武蔵野市では全然違う*。やはり三鷹市は「農」のまちなのかもしれない。

 ちなみに、農地か宅地によって納税額が全然違う。固定資産税であれば、駅周辺の土地などはその差は広さによって何百万、何千万という違いになるというから驚きだ。法律の改正にあたり、少数の農家は毅然と農地を守り、かなりの農家は後継者や相続問題などから農地を転用していったらしい。マンションのコンクリートの固まりの隣で、ほっとなごめる緑や作物を提供していたり、ひっきりなしに車が通る道路に面して緑の空間が出現する。一方、三鷹駅南口の線路沿いは新しげなアパートが多くって、つい最近まで畑だったと推測される場所が多い。

 「農業」は、生産者にとっては“生業(なりわい)”である。三鷹でも農業公園について真剣に議論されていたけれど、「業」を冠するのであれば、実質的な農業や生産緑地にも関心を持つべきではないだろうか。緑に親しむ喜び、作物が育つ喜び、そして食を楽しむ喜びを経験できる住民としては、非農業者だからこそ、地元にある「生産緑地」の厳しい現実に、優しいまなざしを向けていたいものだ。(み)